旅巡り⑤ 青函連絡船記念館・摩周丸②
旅巡り④の続きです。
作中では、潮君たちが乗船した津軽海峡フェリー(現代)と、勇雪丸(過去)の操舵室が描かれていました。
摩周丸の操舵室は現代寄りのようですね。
操舵室の中央です。
左隣り。
右隣り。
舵輪(ハンドル)の正面にある窓。
「出入港操船時の船長の定位置」と書いてあります。
「そこに立って、いつも船長は海を見ておられた」
舵輪の位置から右後ろに振り向くと、小さな神棚の横に別の部屋への入り口があります。
無線連絡室です。
「S・O・S!」
「トントントン ツーツーツー トントントン」でSOS。トンは一度押しの短い音、ツーは長押し。
モールス信号表も展示されています。
機械には接続されていませんが、押すと鳴るようになっています。
無線連絡室を出て階段を下りると、中は展示室になっています。
船戸船長時代の舵輪。(作中に描かれています)
ボイラーの仕組み。
客席は電車の中みたいですね。
乗務員服と船長服。
洞爺丸海難事故についての展示パネルもあります。
写真は当時のニュース映像。
当時は日本海側に気象観測点がなく、台風の進路を予想することはきわめて困難だったそうです。
洞爺丸を襲ったのは、日本列島を覆い隠すほどの巨大台風でした。
この台風を見た時に、最終決戦の時に現れた巨大台風を思い出しました。
第五十二章の冒頭で、流れ星のように飛んだ槍の欠片は巨大台風を切り裂いて消滅させていきました。
これは反撃であるとともに、人知を超える災厄にも最後まで負けずに立ち向かった勇雪丸の乗務員たちと白面に挑む潮君たちの姿を重ねて、過去の悲劇は繰り返させないという意志、希望を示した描写なのかもしれませんね。
(何の根拠もありませんけれど|ω`)
こんな風に色々と想像するのも楽しいですね。
旅巡り⑥へ続きます。